古楽入門


〈アーティスト・インタヴュー集〉
■ヒロ・クロサキ 第一回 (バロック・ヴァイオリン)

■ヒロ・クロサキ 第二回 
■グスタフ・レオンハルト(チェンバロ、オルガン、指揮者) アレグロミュージック編
■グスタフ・レオンハルト 音楽の友編 2012.1 updated
■ヨス・ファン・フェルトホーヴェン(指揮者)とグスタフ・レオンハルトに聞く
■グスタフ・レオンハルト TV出演 (YouTube)
■クリスティアン・ベザイデンホウト(フォルテピアノ) CDジャーナル編
■ミドリ・ザイラー(バロック・ヴァイオリン)



<古楽入門〜7つの扉〜 目次>

第1の扉 (古楽とは?)

第2の扉 (作曲家)

◎第3の扉 (古楽器とは?)

◎第4の扉 (弓について)


◎第5の扉  (ストラディヴァリとスタイナー)

◎第6の扉  (楽器のコピー)

◎第7の扉  (いい音楽を求めて)



◎番外編 1 (コンソートって何?)

◎番外編 2 もっと響きを楽しむために・・・「音律」?


古楽入門−7つの扉−

〈楽器のおはなし編〉

第1の扉 (古楽とは?)

中世(10-14世紀前半)、ルネサンス(14-16世紀後半)、バロック時代(16世紀後半−18世紀中ごろ)の音楽を総称して、英語ではアーリー・ミュージック(Early Music)、日本では(いつ誰がいったのかわかりませんが)古楽と呼んでいます。

通常バッハ以前の音楽を指していますが、「古楽」の意味の中には、作曲された時代のことだけではなく、演奏にあたっての使用楽器(ピリオド楽器か、モダン楽器か)の選択によっては、モーツァルトやベートーヴェンの音楽も含まれる場合があります。 
(時代区分は諸説ありますので一応の目安です)


第2の扉 (作曲家)

ルネサンス音楽の代表的な作曲家としては、オケゲム、ジョスカン・デ・プレ、ラッスス(以上、フランドル)、クレマン・ジャヌカン(フランス)、トマス・タリス、バード(イギリス)、ビクトリア(スペイン)、パレストリーナ(イタリア)などが、特に声楽曲に充実した作品を残しました。

バロック時代に入ると、フレスコバルディ、コレッリ、ヴィヴァルディ(以上、イタリア)、パーセル(イギリス)、クープラン(フランス)、バッハ(ドイツ)、ヘンデル(ドイツ−イギリス)といった皆さんもご存知の作曲家たちが活躍しました。そうそう、イタリアのモンテヴェルディを忘れては大変! 彼はルネサンスとバロックの橋渡しをした人です。これらの時代は、絵画、建築なども充実し、現代を生きる私たちに、いまも強烈なメッセージを与え続けています。


第3の扉 (古楽器とは?)

私たちはよく楽器に対して、モダン楽器、古楽器という呼び方をします。困ったことに、この呼び方は「古楽器 =古い楽器」という誤解をまねきやすいのです。古楽器のことを、英語ではピリオド楽器(少し昔はオリジナル楽器と呼んでいたのですが…)と言います。ピリオドというのは、時代、時期という意味で、ピリオド楽器とは作曲家が生きていた時代に使われていた楽器、つまり手を加えて楽器の形を変えていないものをさします。

それでは、あの有名なストラディヴァリは古楽器と呼べるのでしょうか? 現在私たちが耳にするストラディヴァリという楽器は、後世の人々によって改良されたもので、古楽器には含まず、モダン楽器と呼んでいます。

ストラディヴァリがヴァイオリンを製作していた時代は、まさにバロック時代の最盛期、1700年頃だったのですが、このころのピッチ(チューニングの時、音合わせの基本となる音、ラ音)は、A=415Hzだったと言われます。ところが、時代が進むと同時に、人間の耳は高い方のピッチを求めるようになりました。現代はA=440-443であることは周知の事実です。ピッチを高くするということは、楽器の弦を強く張ることにほかなりません。

ヴァイオリンの側面を、バロック時代に使われていたそのままの状態の楽器(ピリオド楽器)と、現代で使われている楽器(モダン楽器)とを比べてみると、大きな違いに気付かれるはずです。強く張られた弦に対し、楽器がそれに耐えられるようにするためには、ネックの部分と本体の角度を変えねばならなかったのです。

このほかにも、肩当てをつけたり、弦もガット弦からスチール弦を使用したりと、ずいぶんと変化したのです。チェロも同じですが、面白いのはエンド・ピン(楽器を支えるため下部から出ている細い棒)です。ピリオド楽器ではこれがなく(やむを得ずつける人もいる)、両足で挟んで演奏します。モダン楽器のほうが便利になっているのかな?


第4の扉 (弓について)

弓の形も大きく変化しました。ピリオド楽器の弓と現代(モダン)の弓とでは違います。さらに、ルネサンスや中世の時代の弓は、アーチェリーのような形、まさに矢を射ることが出来そうな形をしています。形ばかりではなく、弓の持ち方、奏法もモダンとはずいぶんと違います。







バロック弓の変遷。上が昔のもので、下にいくにしたがって新しくなる。
一番下のものはモダン楽器の弓に近くなっている。







第5の扉 (ストラティヴァリとスタイナー)

前項でストラディヴァリは古楽器と呼べないと書きました。手を加えているから呼べないのですが、現代のように古楽が多くのクラシック・ファンから支持されつつあることを考えると、きっと近い将来、21世紀のはじめには、ストラディヴァリ本来の音が聴けるというわけです。

実際、2本が元のスタイルに戻されたと、シギスヴァルト・クイケン氏が語っていました。 逆説的に言えば、ストラディヴァリという楽器は改良しても(ピッチが上がった時代になっても)その美しい音色は失われなかった、つまりは素晴らしい楽器であるということにもなるのです。

チェリストのヨーヨー・マ氏は、愛器ストラディヴァリをバロック・スタイルに戻し、バッハやボッケリーニに取り組みました。(1999年2月そのCDが発売された)

一流の古楽奏者はスタイナーという作り手の楽器を使用しています。ピリオド楽器のストラディヴァリ的存在です。ストラディヴァリとは全く異なる運命を歩んだ楽器で、改良を試みられはしたものの、あまりにもデリケートすぎてうまくいかなかったようです。


第6の扉 (楽器のコピー)

スタイナーのようなオリジナルの古楽器を持っているアーティストはそう多くはありません。保存状態が良く演奏に耐えうる状態で残っている楽器は少なく、当然高価になります。そこで、これらをもとに寸分違わず複製(つまりコピー)したものが現在作られています。古楽器を演奏する人々が増えつつあり、多くのニーズがあるそうです。チェンバロも同じです。

300年も前の楽器が、現在立派に使えるというわけにはどうしてもいきませんから、弦楽器同様、優れた製作家たちにより、名器のコピーが作られています。新しく製作された楽器でも、ピリオド楽器のコピーは、古楽器と呼びます。


第7の扉 (いい音楽を求めて)

いままで、楽器の構造がどうとか、少々理屈っぽいことを言いました。これらのことはちょっとした知識として、頭のすみに入れておけば良いこと。もっとも大事なことは、ピリオド楽器で演奏することの意義です。ピッチが低いこと、A=415だとちょうど半音低いことになります。モダンの楽器のシの音がドの音になりますが、優れたアーティストたちの演奏はピッチが低くても、新鮮でとってものびやか、みずみずしい印象を与えてくれます。装飾音符の処理など聴きどころはいっぱいあり、本当に奥が深い。

また、バロック奏法として、ヴィブラートをあまりかけないことも重要なポイントです。これは器楽だけでなく、声楽も同じことが言えます。いままで聴き慣れていた曲なのに、新しい発見があった、なんてウレシイことがたくさんあるものです。

しかし、ここで、ピリオド楽器とモダン楽器、どちらを使用した演奏がよいのか?、について結論を出すつもりはありません。各々の演奏のクオリティがまず大事ですし、なによりも聴く人の感性、好みの問題ということになるのですから…。

ただ、作曲家がイメージしていた音とはどんなものだったのか、常に考えてみる必要があるでしょう。たとえば、モーツァルトやベートーヴェンの時代には、いま、わたしたちがどこでもよく耳にするピアノという楽器は、まだ存在していなかったことなどなど…。

世界に目を向けると、刻々と音楽の世界も変化していることに気がつきます。ピリオド楽器の隆盛に、モダンのオーケストラも死活問題。古典を演奏するにあたっては、楽器がモダンのままでも、奏法をガラリと変えたり(それも一流のオーケストラほど!)、その熱気が伝わってきます。    (1999.3月作成)

目次に戻る


古楽入門番外編 〜コンソート(consort)って?〜

Q:ザ・ハープ・コンソート、オルランド・コンソートなど、英国のグループに多い○○コンソートといったネーミングが目につきます。このコンソートって、いったいどんな意味があるのでしょうか?

ラテン語のconsortemが語源で、運命を共にするという意味があります。英語の辞書には、配偶者。僚船、同行船。仲間、パートナー。一致、調和。と、書かれており、(特に17世紀英国の)室内楽的アンサンブル;また音域の異なる同種の楽器の一揃いを指すこともある;これらのアンサンブルのための作品。和音。と、あります。

音楽としての、コンソートの意味は、特に16-17世紀(ルネサンス・バロック期)の音楽の合奏団、合唱隊ということになります。ヴィオール族など同系統の楽器の編成だと、whole consort、異系統の楽器編成の場合は、broken consort と、表現されます。

カタカナの表記では、 英:コンソート、 仏:コンソール、伊:コンソルテとなり、フランス、イタリア語ともに、配偶者、パートナーの意味がありますが、音楽用語としては英国ほどしっかりした意味を持たせず、ただたんにコンサートのタイトルとして使われる(何人かが集まって行なう公演など)ことが多いようです。

目次に戻る


〈アーティスト・インタヴュー〉
アレグロミュージック会員情報誌「トゥッティ」より

ヒロ・クロサキ(バロック・ヴァイオリニスト)

2000年11月、チェンバロ奏者、ヴォルフガング・グリュグザム氏とのデュオ・ツアーで来日したおり、最終公演日の大阪にてインタヴューしました。


Q先日ちょっと驚いたのですが、来日したモダン楽器を弾くヴァイオリニストがコンサートの前半で、ピリオド楽器を使って演奏していました。それについてどう思われますか。ヨーロッパではよくあることですか。

H ウーン、僕はちょっと問題あると思います。演奏家の中には、モダン楽器にただガット弦をつけただけのものを使う人もいる。ピリオド楽器オーケストラだと後方のパートは肩あてをつけてたりとか…、お客さんをちょっとばかにしていると思うものもある。そういうのは問題だね。

ガーディナーやノリントンのオーケストラがバロックとクラシック (ロマン派の作品)の2つのプログラムをもってツアーに出るときは、モダン楽器で両方のプログラムを弾くことがある。これはモダン楽器でバロックは出来るけれど、ピリオド楽器ではクラシックの作品を弾くのが無理だからです。バロックはピリオド楽器でという通のお客さんは不満かもしれませんが、バロックのレパートリーを何年も弾いてきた人、バロックの弾き方、考え方、音楽を学んだ人は、モダン楽器でもまあバロック弓を使って相当いい結果はでるものです。

その反対に、ロマン派以降をレパートリーとしている人たちが半年ぐらいノリントンのレッスンを受けたとか、マスタークラスに参加したぐらいで、ピリオド楽器を手にしてバロックをやるのは、僕は不満です。バロックに興味を持ってくれるのはうれしいけれどね。なぜかというと、ピリオド楽器を使ったらバロックになるわけじゃない。その時代の音楽だけでなく様々なことを研究して知ることが大事です。長い年月をかけて、楽器に教えてもらうのです。もちろん本も読むし、多くのレパートリーを弾いて、アンサンブルもたくさんやって、そうして学んだものを僕たちはやっている。しかし、たいていそこまでいっていない。ベートーヴェンが彼自身のシンフォニーを演奏した時代だって、楽器のスタイルはいろいろ混じっていたと思うけれど、それとこれとは違う。いまは、古楽が注目されているから、ピリオド楽器を使えばお客さんも喜ぶというマーケティングがあるからでしょうけどね…。

Qよく、モダン楽器を弾いていた人が、ピリオド楽器を弾いたらピンときて、目からうろこ、なんて話がありますが…

H それはわからないではないけど、やはり長年の経験が大事。そもそも向いている人とそうでない人がいるのです。逆にバロック奏者が急にモダン楽器でロマン派の作品を弾いたっておかしい。

Qここでまず、モダンとピリオド楽器の構造の違いから説明してもらったほうがよさそうです。

H ピリオド楽器は単にガット弦を使い、顎あてがないというだけでなく、楽器のネック、さおの角度、弦の長さ、魂柱やバスバー(いずれもヴァイオリン本体の中の部分)などが違います。また、弓のカーブがモダンとバロックは逆で、モダンの弓のカーブは元から先まで平均的に弾けるようになっていて、これが理想です。

一方バロックの弓は元と先とは違った音楽になることが理想で、ダウンで弾くときには強く開始され、だんだん弱くなる、人間の息をはく感じですね。アップは息を吸い込む感じ。つまり、音楽にボーイングを合わせるわけです。アフタクトのときは必ずアップから始めますしね


Q楽器のサウンド、音量もちがいますよね。

H そうです。例えば、モーツァルトのソナタをモダン楽器とピアノで弾くと、かわいそうなのはピアニスト! 必ずピアニストは控え目に弾かないと、どうしてもうるさすぎてしまう。フォルテピアノとモーツァルトの時代の楽器、アーリー・クラシック・ヴァイオリンといいますが、これでソナタをやればこういう問題は出てこない。僕とリンダ(・ニコルソン)さんがやると逆に僕が強すぎるくらい。また、モダン・ヴァイオリンとチェンバロでバッハなどを弾く場合は、逆にヴァイオリンが控え目に弾かなくてはならない。モダン楽器のアンサンブルでは、オーバートーン(倍音)が足りないから楽器と楽器の音が混じりにくいのです。倍音がバロック楽器より少ないのです。倍音があればあるほど楽器と楽器の音が混じりやすくなる。ただ、ピリオド楽器は音程をとるのが難しくなります。倍音があるほどきっちりと音程を合わせないとね。倍音してくれないわけですよ。だからお客さんにも音程が狂ったらすぐわかる。最近は技量も上がったけれど、昔は古楽器は音程が悪い!(笑い)バロック奏者は音程が悪い!、なんて言われていたでしょう。

本当のところ、うまい人たちがピリオド楽器を使ってアンサンブルすれば、すごく良く合うものです。モダン楽器では混じりけがそこまでいかない…。だから、チェンバロとヴァイオリンのソナタを聴くとき、モダンの耳に慣れている人はヴァイオリンが時々聴こえなくなると言います。ヴァイオリンが弾いているのか、チェンバロなのかわからないと。そうじゃない! そこがいいのです! 完全に混じり合っているんです。いつもヴァイオリンのライン(線)と、チェンバロのラインが別々に聴こえるとしたら、それはバロックではありません。何の楽器が、どちらが弾いているのかわからなくなるのが理想です。バッハもチェンバロを目立たせたいところはヴァイオリンを低く書いてある。ヴァイオリンを目立たせたいときは、チェンバロを低くしている。作曲家はダイナミクス、混ざり合わせの調節をちゃんと作曲の中にしているのです。


Qでもフォルテとピアノは書いてあるわけでしょう。

H いえ、オリジナル譜にはほとんど書かれていない。フォルテとピアノはエコーのところだけですよ。ダイナミクスは作曲のアーキテクチャー、構造です。譜面を見ればわかることです。

Qチューニングの問題はどうでしょうか。

H これは先ほどの倍音が大いに関係してきます。ピアノの話をしましょう。モダンのピアノは平均律で調律しますね。でも、本当にうまい調律師は完全に平均律にはしていない。機械を使って平均律で調律するのは人工的な合わせ方です。人間の耳は平均律を聴くようには出来ていない。平均律の3度とか5度とか、そういうインターバル、音と音の間を、人間は完全な平均律として聴きとらない。平均律でやってくれって言われても、僕たちは出来ません。もちろん、何十年も訓練していれば出来るかもしれないけれど…。自然で純粋な3度とか5度を弾いたり聴いたりするように人間の耳は出来ている。
これは人間の耳だけでなく、自然界にあるもの、物体、植物でも動物でも、ぜーんぶ純粋なハーモニーで振動するように世界は出来ている。昔のギリシャの哲学者が言ったように、世界はハーモニーで振動している。世界中が、宇宙が鳴っているわけです。バロック音楽はそのギリシャの哲学を中世、ルネサンスを通して、ルネサンスの時代は生まれなおしたと言ったほうがいいかもしれないけど、その伝統をつないでいったものです。それは、ベートーヴェンまでつながっている。音楽が世界のハーモニーの鏡、この宇宙を表わすという考え…。また、調律の話にもどりますが、平均律にしてしまっては自然にないものをもってくることになる。このことはクラシック(モダン)ヴァイオリンにナイロンの弦を張って、モダンの弓を使って弾いているのと同じこと。自然には出て来ないものを人工的に作って合わせていることになってしまう。


Q調律法もいろいろですね。ヴェルクマイスター、ヴァロッティ、ミーントーンとか…。

H 完全な純粋3度で合わせてしまうと、1つの調しか弾けなくなってしまう。バッハみたいにモードレーション(移調)する音楽に対処するには、音楽学、物理的な問題ですが、3度と5度の加減、調節が必要となる。3度を純粋に合わせると、5度が小さくなってしまう。そうなると、ほかの調の3度も使えなくなる。弾けなくなる。バロック時代は遠い調、(遠い、近いというように表現する)cis-dur(嬰ハ長調)なんていうのはあまり使われなかった。そういうところに狂った5度を持って行く、ということは隠しているんだ。宇宙のはしのところに。バッハの場合、それが時々出てくる。そうするとすごく狂って聴こえる。本当はそれを合わせちゃいけない。お客さんの耳に狂った音はつらいでしょ!? 

でも、バッハはその狂った音、つらさを聴いて欲しかったわけです。平均律だとどんな調でも同じに聴こえることになってしまい、個性がない! バッハやベートーヴェンはこの曲はD-dur(ニ長調)で書いて、別の曲をc-moll(ハ短調)で書いた。なぜか? やはり、彼らは何か考えがあったから。調弦が平均律じゃなかったから考えたわけです。調の変化によって音楽のもつムード、色が変わるわけです。A-dur(イ長調)なら、キラキラと輝かしい感じ、f-moll(ヘ短調)だったら、暗くやわらかく、といったようにね。


Q次は、現在のヨーロッパの音楽シーンの流れについてお聞かせください。

H 僕の考えですが、80年代、90年代と続いた古楽ブームは完全に終わりましたね。終わったと言うより、ピリオド楽器でやることが認められて、普通になった。つまり、モダンの大きなオーケストラと同じにピリオド楽器のオーケストラが認められた。CDの売れ行きに目を移すと、レコード会社はモダンが売れなくなったと言っている。すでにいろいろ出尽くしたからね。カラヤンが何回も同じ曲を録音したり、バッハも多種多様のCDが出た。ベートーヴェンのシンフォニーだって、ピリオド楽器のオーケストラでもたくさんある。公演の話にもどしますが、ヨーロッパの90年代はバロック・オペラのリバイバルがあった。それはいまも続いている。これってとても興味深いことです。

ただ、僕が少し不満なのはバロックを歌える歌手があまりいないことです。古楽は器楽の分野ではすぐれた人が大勢出てきたけれど、エマ・カークビーみたいなバロックの声楽の技術で歌ってくれる歌手はまだまだ少数なのが実情です。劇場が昔に比べて格段に大きくなったわけですから、指揮者も大きい声が欲しい。そうするとモダンの歌手を使うことになってしまう。それってとても問題だ。でも最近は若い声楽家の中にバロックの歌唱法に興味を持つ人が増えてきた。いちばん大切にしなければいけないのは歌詞です。歌っている言葉がお客さんに伝わらないと意味がない。歌舞伎や文楽でもそうでしょう。ただ、きれいな声で歌っているだけでは魂が伝わらない。若い歌手はそのようなことをどんどん大切にするようになってきた。だからこそ、バロック・オペラの人気が上がっているのだと思う。

Qなるほど。さて、ヨーロッパではバロック音楽をピリオド楽器で演奏することが自然になりましたが…。

H だから、クライシス(crisis、危機)と言える人々もいる。いままでモダン楽器でバロックや古典のレパートリーをやってきた演奏家たちやお客さんもそう。そういう時代です。ウィーン・フィルだってそうだ。そういうアンサンブルがとても不安になっている。いままで自分たちが弾いていたモーツァルトはダメなのか? という感じ…。

Q昔はウィーン・フィルのモーツァルトと言えば定番だったわけですからね。

H ノリントンを呼んできて、練習を3日間したからって、新しいスタイルで弾けるものじゃないですよ。ヴェンゲーロフがノリントンに教わったからじゃダメなんだ。結果はもっと悪い。今まで自分が信じてやってきたやり方でやった方がいい。演奏家自身に少しでも安易な部分があると、お客さんにそれが伝わってしまう。

Q時代が変わり、聴衆の感性も変わり、音楽の好みも変化していますからね。

H そういう意味では古楽をやってきた人にも同等の悩みはあるが、モダン楽器をやってきた人のほうがより深刻だ。でも、僕はそれが自然だと感じる。いま、ウィーンでいちばん人気があるフェスティバルは、超モダン、つまり現代音楽なんですよ。20世紀はじめから今まさに作曲されたばかりの音楽にお客が入る。これって僕はすごくいいことだと思う。完全にヘルシーだね。実はいままでやってきたことが、ヘルシーじゃない、不自然なんだよ。過去のことをいつも懐かしがってやってきたことが。

Qウィーンという街はそれを引きずってきた。このままだと、ますます観光スポット化が進んでしまう。

H ウィーンのオペラもクライシスだな。

Qバロック・オペラは他の国では取り上げられていますが…。

H いま、ヘンデルとモンテヴェルディ時代のオペラのリバイバルですね。ヨーロッパではヘンデルは90年代にもう始まっていた。ヘンデルはほんとうに質の高い音楽だから、絶対これからも長く続くと思う。ヘンデルはモーツァルトと並んで、大きなオペラ・ハウスでもレパートリーに確実に入っていくでしょう。しかし、モンテヴェルディはそう簡単じゃない! モンテヴェルディはモダンでは弾けないし、ピリオド楽器でないと絶対不満。ということは、あんまり大きなオペラ・ハウスでは出来ない。ここが難しいところですね。

Qヘンデルはモダン楽器でも大丈夫ですか。

H ピリオド楽器が理想だけど、出来なくはない。アーノンクールがやっているチューリッヒの歌劇場はモダンとピリオド楽器が混じっている。オペラは、とにかく練習時間が長い。1ヶ月は練習しなくちゃならない。オーケストラも1週間から10日ぐらいはやる、ということはモダン楽器の奏者が入っても、バロック奏者に優れた人がいれば2週間練習すれば結構まとまるものです。ウィーンの場合、前の日にヴェルディをやって、翌日、ノリントンの「魔笛」では大変。頭の切替えが出来ない。1ヶ月同じオペラをやるならいい結果がでるでしょう。

Qヘンデルは最近特に多くないですか。

H 確かに多いね。50年、60年代にもリバイバルがあって、レコードも残ってる、サザーランドとか…。

Qいまは、CDよりTVやDVDなど、ヴィジュアルなメディアが元気。絵になるもの、見ても楽しめるものが音楽にも求められていると思います。そんな中でもモンテヴェルディやヘンデルのバロック・オペラは、日本ではなかなかチャンスがない。演出にも興味が持てるし、生演奏はもちろんですが、映像として見たい人は大勢いると思います。

H でも、オペラはなんといっても莫大なお金がかかる! それが問題。いま、ヨーロッパも不景気だから、90年代よりは少しおとなしくなった感じだ。レザール・フロリサンもそうなんだ。

Q2000年はバッハ・イヤー、日本は異常と思えるほどバッハの公演がありました。なぜ、日本人はこうもバッハ好きなのでしょうか。

H バッハはいちばんアブストラクトだから。(abstract、クロサキ氏はこの単語を英語でこう言った後、適切な邦訳が出てきませんでした。抽象的、理論的という意味が一般的ですが、クロサキ氏が言いたかった意味の解釈は読者の皆様にゆだねたいと思います)どんな楽器、どんなスタイルでやってもいい。モダン楽器だっていい。音楽自体が独立しちゃっている。ところが、ヘンデルというのは絶対オペラを歌わなくてはならない! ヘンデルは歌から生まれた音楽。もちろんコンチェルト・グロッソというのもあるけどね。ヴィヴァルディもそうだ。

Qモーツァルトだって!

H 完全にそう! 西洋のオペラの世界っていうのは、日本人にとってはまだまだ遠いと思う。しかし、バロック音楽の中でもバッハは日本人に近いんだ、その点。バロック音楽の世界は2つに分けて考える。1つはカソリックのヨーロッパ、地中海地方のヨーロッパ。どちらかというと、バロックというのは、まあ、イタリアで生まれたものだから、ヨーロッパ人はバロックというと地中海の方を想像する、はじめはね。もう1つはドイツとか、北の方のバロック。イタリアに比べると色が薄い、味が薄い感じになる。バッハは北の方、どちらかといえばプロテスタント、こちらの方が日本人の感性に近いのではないかな。感覚的にすごく内面的で、外にガーっと出そうとしない。中味はとても深いのですけれど。

Qいろいろな人がバッハをやっています。グールドは私には古めかしく感じますが…。

H グールドもポップ・スターみたいなアイドルになってしまった。僕は彼の演奏を聴くと、いいなって思うところもあるし、なんか変だなと思うところもある。でも、バッハって、全部そんなものなんですよ、だれが弾いても。僕の演奏だって、あのクロサキのバッハはおかしい、という人はたくさんいると思いますよ。

Q私はクロサキさんのバッハを聴くと、あまり北の感じがしない。プロテスタントっぽくないですね。

H 僕のはそうです。わざとね(笑い)。バッハやバロックの作曲家たちはみんな神様や王様のために音楽を書いていた。でも、考えてみれば、バッハって、奥さん2人もって、子供たくさんつくって社会生活を楽しんでいた人でもある。もちろん仕事も多くしたけど。僕はバッハの人間的なところをもっと出したいと思う。だって神々しいところは自然に音楽で出てくるんだから…。

日本人の多くが持っているバッハの音楽のイメージは、オランダやベルギーのアーティストのやり方、つまりプロテスタント。まあ、ヨーロッパでも確かにそういうイメージがあるのですが、すごく純粋で、線をハッキリときれいに出す。感情を押さえて、神々しくやるっていうイメージですね。しかしながら、バッハの時代の建築を見ると、ドイツはまとまっていなかった。この街はプロテスタント、でも隣り街はカソリックだったり。バッハ自身もカソリックのところで仕事をしていたこともある。その時代の絵画、建築を見ると、彼らのどちらかというと線の細いような演奏は、イメージに合わない。だからオランダ系の演奏を僕は正しくないと思う。バッハが活躍していたところの建築は、フランス人に言わせると、シノワズリー(chinoiserie)ちょっと中国的、つまり、やり過ぎだと…、バロックよりロココ。ドレスデンのツヴィンガー(ドイツ・バロック建築の最高傑作といわれるツヴィンガー宮殿)をみてもオーナメント(装飾)がすごい。イタリアのものを持ってきて、ドイツ人はそれをもっとやろうとした。だから、バロック音楽だってそういう傾向がある。バッハの譜面を見ればわかる。ソロ・ヴァイオリン・ソナタの譜面のオーナメントを見ただけで、ドイツのその時代の建築とよく合っている。飾りがものすごい。


Qバッハはあまりきれいにやってはいけない? ハデとは違うのでしょうけれど。

H 音楽の中味、言いたいことはピュアだと思う。ただ、外見、服装はバロック以上にバロックだと思う。フランス音楽で面白いのは、レゾルーション(resolution、解決。ここでは音楽のまとめ方と解釈します。ドイツ語はauflosung )と言うのですが、例えば、曲の終わり、カデンツァの終わりの場合などいっしょに解いちゃいけない。たくさんの楽器でも、いっしょに合わせてはいけない。ヴォルフガングとのときも僕が日本人だからかもしれないが、僕の方が合わせてしまう。合ったらスタイルにはまらない。合わないほうがいいんだ。バラバラバラっていう風にね。それと、バッハは即興の大家でしょ、絶対同じことはやっていない。自分の書いた同じフレーズが、ヴイオリンで出て来て次にオーボエに出てくるともうフレージングが違うんです。それを合わせちゃいけない。同じ曲をバッハがコピーしたものと比べてみると、フレージングが違う。ドイツ語だとフィンファルト(vielfalt 、多種多様)と言うのですが、とにかくなんでも入っている。その点、すごくバロックです。

Q先ほど、現代音楽の話が出ましたが、アーリー・ミュージックの世界はどうでしょう。

H これからは中世の音楽が流行ると思う。なぜなら、まだ、あまり知られていないから。ヨーロッパの一般的なお客さんはとにかく新しいものを聴こうとしている。だれも、もう一回、マタイ受難曲を聴かなくていい。こんどは、ペロタン聴いてみようかなぁ…、っていうようにね。今日のバロック音楽だって、学者の研究が音楽家に伝わって、それをどのようにお客さんに楽しんで聴いてもらうかという積み重ねで50年はかかっている。中世の音楽だとさらに過去のものだから、研究も難しくなる。楽譜の解釈、調弦のやり方もバロックより大変です。ピタゴラス(調律)を使うからね。学問的にはわかっていても、それをちゃんと演奏するのは非常に難しい。お客さんに楽しんでもらうのはますます難しい。それがいま、だんだん出来るようになってきた。そういう奏者が出てきたのです。20年前だったら中世の音楽のレコードを作ったってだれも買ってくれなかったのに、今は売れている。

Qヴィジュアル的にも楽しんでみたいですね。

H そうだね。

Q話はまったく変わるのですが、今回、ある公演地の主催者から、曲目の解説を欲しいという話がきて、弊社のスタッフが作成することになったんです。バッハのハ短調ソナタの第1楽章のところで、以前、ヒロさんが別のインタヴューで話をした、「シチリアーノ」のことを書いたら、そこはボツにされてしまった。だから、あの話をもう一度お願いします。

H ・・・「シチリアーノ」というのは踊り、ダンスなんだけれども、昔からクリスマスに使われている。どうしてか、あのインタヴューで説明したかったんだ。「シチリアーノ」っていうのは、ほんとうは子守歌なんだ。マリア様が生まれたばかりのイエスを抱いてシチリアーノであやしている。そのイメージがあるからクリスマスに使うわけだ。コレルリのコンチェルト・グロッソの最後にも出てくるでしょ。「シチリアーノ」っていうととてもやさしい感じ、でもマリアとイエスのイメージがあるから、哀しみ、苦しみが入る。マリアはただやさしくイエスを寝かすだけではない。マリアにとってイエスは、自分の生んだ子供ではなかった。それが1つ目の苦しみ。ほんとうは神様の子供、神が人間ぜんぶのために生んだ子供なんだよね。そして、彼(わが子)が人間のために死ぬってこともわかっているマリアは…。それが2つ目の苦しみ。

Q・・・多くの画家が聖母子像を描いています。ラファエロとか…、ヒロさんのお気に入りの絵はありますか。

H たくさんありますよ。もちろんラファエロもいいけれど、僕がいちばん好きなのはジョルジョーネ。マリアの絵は1つしか知らないけれど、それはジョルジョーネの生まれた村にある。村の名前は忘れちゃったけど、オーストリアに近い、北イタリアの小さな教会のほんの一か所のために描かれた絵が、まだそこにかかっている。とてもきれいな絵。

Q美術館にはない?

H ない。でも、ジョルジョーネはもう1つある。ヴェニスのアカデミア美術館に。マリアではなくて、若い女の人が子供にお乳をあげている絵。聖母子ではないが、モチーフとしてはとてもいい絵です。それからマリアをたくさん描いたのはベリーニですね。

Q日本のホールで演奏されて何か、気がつかれたことはありますか。

H 日本の聴衆の方がヨーロッパより音楽を真剣に聴いてくれると思います。あと、客席はあまり暗くないほうがいい。演奏家にとってもお客さまの顔が見えるほうがいい。一方通行ではなく、聴衆の呼吸というか、反応を感じながら演奏するのがいいと思う。日本の聴衆は静かなのは素晴らしいけれど、もっと反応してよいのではないかしら。パッシブ (passive、受け身)過ぎると感じます。クラシックの公演も、歌舞伎を見習ったほうがいい。観客が屋号を叫んだり、役者と観客のバイブレーションが必要。それが自然だと思う。ヨーロッパでもバロック時代は、有名な歌手が歌ったり、カストラートが歌ったりすると、女性が倒れちゃったとか、1つのアリアが終わって拍手があれば、そこでもう1曲歌わなくてはならないとかね、けっこう騒がしく、楽しくやっていたのではないだろうか。

Q21世紀、これからクロサキさん自身のやりたい方向をお聞かせください。

H この時代に生きている人間として、先ほど話したクラシック音楽家としてのクライシス、僕もその一人です。いままでやってきたことがいいのか、もの足りないのか、僕はピリオド楽器と出会えなかったら、いまこうして演奏しているかわからない。それほど古楽は大切。バロックを弾きたいからピリオド楽器をやったのではなく、この楽器が好きだからバロックをやっている。

インタヴューを終えて: 日本ツアーに同行しながら、クロサキさんから様々なお話を伺うことはなによりも当方の刺激になります。常々感じることは、音楽ををやるにも聴くにも、センス(感性)が大事だということ。時代の先見性、その感性を持つか否か。残念ながら日本のクラシック音楽シーンは、欧米の新しいスタイルの音楽がリアルタイムで体験できるとはとても言いがたい状況が続いている。公演のプロデュースに携わる者としては、いつもここが歯がゆい。

目次に戻る